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いい天気の日
 その日は実にいい天気であった。

 昼前に家を出ようとしたら、さっきまで薄曇りだった空から細かい雨粒が落ちて、というよりほとんど吹きつけてきた。あわてて取って返し、ジーンズを防水仕様のそれに履き替え、傘を持って再び出かけた。
 僕の傘はとても大きい。傘売り場で「一番でっかいのをくれ」といったらこれが出てきたのだ。全長が長い上に先端の金属部も短く、めいっぱい防水布が貼り渡してある。僕は特に背が低いわけではないが、差している姿を遠くからみると、何か縮尺を間違えているような錯覚を起こすほど大きいらしい。なぜにそのような大きな傘を持つのかというと、これは一にも二にも雨に濡れるのがイヤということに尽きる。
 さて、雨を防ぐ、という意味では誠に優秀な傘だが、ひとたび雨がやむとこれが大荷物になる。普段から荷物になるものは好まないが、雨が降っていないときに傘を持ち歩くほど「ムダ感」が高いものもない。ために濡れるのがイヤだと言いながら、少々空模様があやしくとも極力傘は持たないことにしている。折り畳み傘などというケチクサイものはなおさら持ちたくない。持って出るのは今日のようにハナから雨が降っているときだけだ。

 駅までたどりついて列車に乗った。と、何駅も行かぬ間にみるみる空が晴れてくるではないか。しまった、だまされた!ちっちっち、ちょっと待ってりゃあ止んだんじゃねぇか。先ほどまでの荒天がまるでウソのようだ。使いもしない長大な傘を片手に今日一日過ごさねばならないことをうらめしく思い乍ら、高く澄んだ青空を見上げた。

 ところが、列車を降りていくらもたたないうちに、また雨が降り始めた。まさに「一天にわかにかき曇り」という表現そのままである。ウヨウヨウヨと性格の悪そうな雲が群れている。やれうれしや、とばかりにドデカ傘を広げて悠々と歩く。道行く人々の中には濡れながら走る人も多い。もしも傘がなくて困っている美人がいたなら「おぜうさん、よろしければそこまでご一緒しませうか」と、この巨大な傘を差しかけるところだが、そういう昭和半ばの映画のような展開はもちろんなく、ぼくは間違えた縮尺のまま雨の中を歩いた。
 しばらくすると再び雨が止んだ。青空が戻ってくる。よくある「降ったり止んだりの曇り空」というのではなくて「人生の歓喜を歌い上げたくなるような冴え渡った青空」と「ゴジラとガメラがラインダンスをしながら海の向こうから現れそうな荒天」を繰り返している。こういう日も珍しい。
 やがて腹が減ってきたので適当な店を見つけて腹ごしらえをすることにした。しばらくして店を出ると、なんとしたことか、またもやどしゃ降りになっているではないか。呆れたものだ。変わりやすいといわれる山の天気だって、こんなにコロコロとは変わるまい。

 ところで、我々は気軽に「いい天気ですね」と言葉を交わすが、それは概ね晴れた日の挨拶に限られる。綺麗に晴れ上がった空は誰にとってもいいものだろう、という安易な決めつけがその根底にある。農家や雨具店や、もしかしたらタクシー会社なんかにとっては、晴れた日というのはむしろ「悪い天気」なのではないか。この日は大きな傘を持って出かけたが、それが無駄にならず「ああ、傘持っててよかった」と心底思えたのは幸せなことだ。加えて激しい雨風のおかげで空気が澄んだのか、花粉の気配もあまり感じられなかった。やや気温が低かったため、七分咲きの櫻もしっかりと枝についたままだ。その花びらについた雨露が陽光に照らされて、誠に風流であった。

 これからは、曇った日、雨の日にこそ「やぁ、いい天気ですね」と挨拶しあおうではないか。

 ・・・晴れた日は素直に「いい天気」でええんとちゃうの、という声を自分の中に聞きながら。

未分類 | 15:01:23

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