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忘れない
 一向に寒くならないなと去年の秋頃には思っていたが、年が明けてからはなかなかに冬らしい日々が続いている。殊にこの数日は身を切るような寒さだ。
 そして今年も1月17日がやってきた。1995年、この時期の「神戸」はまた格別に寒かったように思う。幸いにして崩壊を免れた商店からもあらゆる物資は買い占められ、或いは盗み出され(あれほど何も置いてないコンビニというものを初めて見た)震災当日にはあちこちで警報装置のブザーが鳴り続け、街はガス漏れの臭いがし、公衆電話には長蛇の列ができた。

 「神戸在住」(木村紺/講談社)という漫画がある。非常に淡泊な線で、主人公と周りの人々の日常が誠に丹念に描かれている。絵はあっさりしているが、よくもまぁこんなに他人のことを見てるよなと思うほど、エピソードは細かい。
 この中に震災を扱った巻がある。ある男性を中心にして彼の体験した震災がリアルに描かれている。避難所での生活、他人とのトラブルや、ささやかな親切に触れたこと・・・。ページを繰る度にあの冬の寒さが思い出される。

 震災に限らず、あらゆる記憶がいつか風化することは、おそらく避けられないだろう。それは仕方のないことだ。しかし可能な限り風化させまいとして、人のハナシもろくすっぽ聞きゃあしない子供たちに震災を語るのは、無駄ではないと信じたい。「震災の体験が無いため、どう教えていいかわからない」という教師が増えているという記事を読んだ。体験していないことを語るのは確かに勇気がいることだが「体験していないから語れない」と言ってしまっては、戦争も震災も水害も、あらゆることは歴史から抹消されてしまう。記憶はなくとも「記録」に思いを馳せるということが大切ではないだろうか。

 天災は、人災と違って「二度と繰り返さないように」とは言えない。それは我々の思惑と何の関係もなく、ある日突然起こる。1995年1月17日のこの時刻には、誰もがいつもと同じ夜明けを信じていたはずだ。起こってしまったそれを「風化させてはならない」というのは、我々にはそれしかできないからだ。生き残った人間が死んだ人間にできること、それは「忘れない」という一点だけではなかろうか。
 


未分類 | 02:01:12

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