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絵日記
 ある休日、文房具店を徘徊する。
使ってみたいノートやペンのあれこれを(結局買いはしないのだけれど)手にとってみる。罫線のない真っ白な、或いはクリーム色がかった紙面は素晴らしいアイディアを秘めているように思える。例えばそれは、いつか釣り上げる筈のまだ見ぬ大物が潜む、閑かな湖面のようにも見える。

 何も書かれていない頁を繰りながら、ふと絵日記をつけてみようかなどと考える。いつもの日記に簡単な挿し絵が入ったら素敵ではないだろうか━━━。それはホンの3~4日、もしかしたらたった1日しか書かれないかも知れない。

 たった1頁だけに描かれた、絵日記。

 それはそのまま忘れられ、何年か経ってから、例えば年末の大掃除やどこかへ引っ越すときなどに、ふと目に留まるのだろう。━━━ああ、そういえばこの時絵日記をつけようと気まぐれを起こしたのだったな━━━。頁は閉じられ、或いはそのまま処分する本の間に挟まれるだろう。続かなかったそれは何も生まず、何も残さない。

 だが、一度は絵日記をつけようとした、その事は紛れもない事実だ。「無駄」ではあったかも知れないけれど、少なくとも嘘ではない。


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未分類 | 22:03:56
オルゴール
 昔からオルゴールが好きになれない。「嫌いだ」と素直に言えないのは、音色や見た目そのものを嫌いなわけではないからだ。駆動部が外から見えるタイプならば、シリンダーの回転や、それにつれて金属の弁が弾かれる様を眺めていると、巧く出来ているなぁと感心する。パソコンなどの高度な機械は、その仕組みを想像することすらできないが、オルゴールくらいなら頑張れば自分で作れそうにも思えてくる。誠に平和なカラクリである。
 では一体オルゴールのどこが「好きになれない」のかというと、あの「ありよう」である。
 キリキリとネジを巻いて‥‥という機構上致し方のないことではあるが、はじめは元気一杯に奏でられていた曲が、段々にゼンマイが弛んでいって、曲の終わったところでならまだしも、ついには完結しないまま「ふつっ‥‥」と止まる。そして沈黙。あのありようが何ともやるせない。何かこう、志半ばにして倒れるような、そういった「無念感」とでも言うべき寂しさがつきまとう。
 書店や雑貨店に行くとオルゴールのCDを見かけることがあるが、あれはきちんと曲が完結するのだろうか?よりオルゴールとしてのリアリティを追求するのであれば、曲のテンポが徐々に弛み「がんばれ!もうひと声!」というところで憐れ力尽きたように止まるべきだが、そんなメンドウなことをするだろうか。謎である。

 そう考えてみると、あの「ふつっ‥‥」と曲が止まって訪れる、何とも言えず物悲しい沈黙こそがオルゴールをオルゴールたらしめているのであって、きちんと曲が完結したりすると、それはただのオルゴールもどきで、オルゴールの一番「オイシイ」部分を放棄していると言えるのかも知れない。しかし正にその部分が、僕がオルゴールを好きになれない理由である。

 もし力尽きたように止まった後で再び甦って動き始めるオルゴールがあれば、僕は涙を流して喜ぶだろう。死んだと思われたヒーローが実は生きていた、というのに等しい感動がそこにはあるに違いない。

 ‥‥‥気色悪いか、そんなん。

未分類 | 23:04:27

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