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シンプルという名の幻想

 本格的な夏の到来の前にもう少し部屋を片付けねばなぁ、と思い乍ら書店を徘徊していると(そんなヒマがあるなら片付けりゃあいいのに)ある雑誌で「シンプルライフ」というものについて特集していた。おお、シンプルライフ。今ワタシに必要なのはこれかも知れぬ。冬モノが未だに置きっぱなしになっているようではいけない。
 シンプルというと無駄のない簡素なことであり、シンプルライフとかシンプルスタイルとかいうものは概ね好意的に受け取られる。複雑になり過ぎた現代では、服装にせよ暮らし方にせよシンプルにしてゆくこそがスマートであり知的な暮らし方だ、と。他人の価値観に惑わされることなく「自分らしい、個性的な」スタイルを確立しましょう、という主旨の記事であった。よく見るとその手の本は書店に溢れかえっている。しかし待てよ、シンプルであることと個性的であることには何の関係もないはずだ。だがそれらの本を見ていると両者は限りなく不可分なものとして語られることが多いような気がする。そしてそれらの多くが、単に著者自身の「暮らし自慢」だったりする。ホラ、こんなに「シンプル」に個性的に暮らしてるんですよ、という感じだ。
 
 しかし例えば、服装ひとつを考えてみても、余分な装飾のない「シンプルな」格好を自任する人が仮に100人集まったとしたら、それはどんな光景だろうか。モノトーンでまとめる人、ナチュラルカラーで、原色で、とそれぞれ好みはあるだろうが、そこには結果的に同じような格好をした人々が集うことになるのではないか。彼らはみな、他人に流されず自分らしい服装をしているにも関わらず。よく考えてみれば「飽きのこないオーソドックスなデザイン」が個性的であることはありえない。

 つまり「他人と違うワタシスタイル」などというものは一種の幻想ではないだろうか。シンプル極まりない、或いは逆に奇抜この上ない格好をしても、同じような姿の他人はそれこそ無数にいるわけで、声高に「これが個性だ」などと主張せぬ方が良いと考える。わざわざそんなことを主張しなくても人はそれぞれみな違っている。かのアーティスト岡本太郎は生前「自分らしさなどどうでもいい、まず人間らしくあるべきだ」と言った。個性の固まりのような氏をしてこの言だ。安易な「自分スタイル」を排するところからあの芸術は生まれたのかも知れない。

 シンプルライフなどというのも似たようなもので、例えば有機栽培のものしか食べず、レジ袋は一切受け取らず、調味料や水なども、身体にいいものをわざわざ遠方から取り寄せるような生活は到底「シンプル」ではない。それはかなり複雑且つ不自由な生活ではないかと思う。別にそういったスタイルにケチをつけるつもりはないけれど。

 というわけで、あらためて猥雑な自室を見渡してみると、これはこれでいいような気もする。あまり着なくなったシャツがびろーっと並び、その横に今はまったく用のない冬モノがどべーっと吊るしてある。捨てよう捨てようと思い乍らほったらかしになっている本の束が床にずさっと置いてある。ために居住空間が圧迫されているが、いいよな、これも「個性」だ。

 ・・・やはりちったぁ片付けよう。「シンプルではない部屋」と「きちゃない部屋」のは違うものな。


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未分類 | 01:34:09

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