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その命令形をやめなさい
 ヒマがあると書店に行く。たびたび足を運んでいると(と言うとたびたびヒマみたいだけど)話題の本や新刊書はいやでも目に飛び込んでくるが、最近は無闇矢鱈と命令形のタイトルが目につく。「○○は□□するな」だの「□□は○○しなさい」だの、甚だしい場合は「▽▽は絶対△△するな!」と「絶対」と「!」までついてくる。何か叱られてるみたいだ。

 こういう本は圧倒的に所謂ビジネス書、自己啓発書などのハウツー本に多いが、これらを読む人は、何かをその本から得ようとしている、別のいい方をするなら教えを乞わんとしている訳で、ごく広義に解釈するならば、著者と読者の間に一時的な(或いは継続的な)師弟関係が成立すると云える。師が弟子に対して「するな」だ「しろ」だというのは、別段不自然なことではない(余談だが、かつて『クイズ面白ゼミナール』という番組で、司会の鈴木健二氏が出演者に対して『ハイ、書きなさい』と命令形で言うのはどうやねんという視聴者の意見があったが、『知るは楽しみなりと申しまして、知識を沢山持つことは人生を楽しくしてくれるものです。私は当ゼミナールの主任教授です。それでは今晩の学生さんをご紹介します』と鈴木氏が毎回一息のもとに言っていたように、あれはゼミにおける先生と学生という設定だったので正しいのだ。長いな余談が)。

 ビジネスというと、やはり一定の成果をあげることをとりあえずの目標としているだろうから、こういった「上司の物言い」みたいなタイトルの方が読者にアピールするのかも知れない。
 恥ずかしながら僕もこの手の本を何冊か持っているが、かつては今ほど種類も多くはなかったように思う。こうも二番煎じ三番煎じ四番五番六七八九増えてくると、どうもその内容云々よりも生理的な拒否感が先に立つ。アタマから「こうしなさい」と言われると、どうにも逆らいたくなるのは、僕がひねくれ者だからだろうか。きっとそうなんだろうな。買わなきゃいいのだ、買わなきゃ。

 断定的に指示されることに対して抵抗がないのは、例えばその問題について切実に「救い」を求めている場合などだろうか。命令形の本がこれでもかというくらい量産されるのは、どれもそれなりに売れているからだと思うが、それだけ自分ではどうにもならなくて、誰かに「助けてほしい、指示してほしい」人が多いことの証左だろう。そこに「ワタシの方法が最高なんだから、シノゴノ言わずにこうしなさい!」という人が現れると、一も二もなくすがるということになる。
 だが、信ずる者が救われると限らないのは今も昔も変わらない。他人のやり方は所詮他人のものであって、結局回り道をした挙げ句に自分なりの方法に落ち着くような気がする。方法論を鵜呑みにするということは、自分のアタマで考える機会を著しく削ぐことにもなるのではないか。

 これから求められるのは「こうしなさい」というのではなく、むしろ「どうすればいいのですか」と問うてくれる本なのかも知れない。

 しかしそれじゃ到底タイトルにはなりそうにないな。


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未分類 | 23:46:50

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