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借りてきた猫
 「借りてきた猫のようにおとなしい」という表現があるが、果たして「借りてきた猫」は本当におとなしいのだろうか?積年の謎のひとつである。
 そもそも猫を借りてくる、というのはどういった状況なのか。旅行か何かで飼い猫を一時的にどこかへ預ける、ということはあるが、この場合は「預けられた猫」である。「借りてきた」というからには、何らかの必要が生じて、どこからか借り受けるということになり、先の場合とでは主客が逆転する。
 ここで、猫を借りてこなくてはならない状況というものを考えてみる。

(1)猫アレルギーの疑いが持たれている人(もしくは家族にそういう人物がいる人)が、どうしても猫が飼いたくなって、飼えるかどうかの可能性を見るために知人の猫を借りてくる。
(2)天井裏に巣くう鼠を一掃すべく、鼠取りの腕に定評のある猫をどこからか借りてくる。
(3)猫や犬の美容師を目指す若者が、毛並みの手入れなどの実習を積むべく「タダでやったげる」ということで借りてくる。

 他にもあるかも知れないが、今直ちに思いつくものとしては上の3つぐらいであろうか。ところで、このいずれの場合も、現代においては、あまり日常的な状況とは言い難い。猫や犬の美容師を目指す若者が、どれくらいいるのか知らないが、そういう特殊な事情から生まれた言い回しが、これほど広く市民権を得るというのも考えにくい。
 上記のうち、有力なものは、僕の考えでは(2)に挙げた例である。先に「現代において」という言い方をしたが、確かに、いまどき天井裏を鼠が走り回ってこまる、という家がそうそうあるわけではないだろう。しかし、この表現が生まれたのは、そう近年のことではないはずである。そうすると(2)における可能性が、にわかにクローズアップされることになる。
 特に都市部ではマンションなどの増加と共に、科学技術、薬品等の発達により、昔ほど鼠の駆逐に苦労することは少なくなったと思われるが、冒頭の言葉が生まれた時代においては、まだまだ一般家庭でも鼠が幅をきかせていたに違いない。
 この言葉は実に、「鼠一掃の為に借りてきた猫が一向に役に立たなかった」という状況下で生まれたものではなかったのか?
 もし、そうならば「借りてきた猫のようにおとなしい」という表現には、「この役立たずめ!」というニュアンスが含まれていてしかるべきであるが、そういう意味合いで使われることはあまりないように思う。
 なるほど、こういう意味だったのか、と納得するには、もはや何処からか実際に猫を借りてくるしかあるまい。
・・・まず猫アレルギーを治さねば。

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未分類 | 01:42:28 | トラックバック(0) | コメント(0)
敬称略!

 敬称について考える。
 例えば、本番の打ち合わせをしていて話が我々のことに及んだときに、「Be in Voices さん」という人がいる。「・・・ということで、このナレーションの後、Be in Voices さんにご登場願って・・・」というような会話の中で使われるのだが、僕はこの言い回しに非常な違和感を覚える。
 この場合やはり「Be in Voices の皆さん」というのがより自然ではあるまいか。「Be in Voices 」というのは組織の名称であり、いわば社会に対して「開かれた」呼称である。「アメリカ」や「六甲山森林植物園」や「通天閣」に「さん」がつかないように、本来敬称なしで機能するものだ。団体名に直接「さん」を付けるのは、やはりおかしいように思うが、実際には「Be in Voices さん」を使う人はかなりの数に上る。そう呼ばれて不愉快なわけではないが、ある種の落ち着かなさを毎回感じてしまう。
 僕自身は基本的には他のグループ名に「さん」はつけない。先に述べた理由から、かなり意識的に「呼び捨て」にする。我々の先輩で「チキンガーリックステーキ」という誠に美味しそうな名のグループがあるが、ここのリーダーと話すときにも「チキンガーリックステーキさん」とは言わないし、それで特に失礼な文脈にはならない。・・・えー、多分。
 以前、ある店に行くのに場所が分からず、その店に連絡をして地図をFAXしてもらったのだが、送られてきた地図を見て僕は唖然とした。地図上で目印となる大きな建物に、いちいち「さん」がついていたのだ。「大丸さん」「阪神百貨店さん」「ザ・リッツ・カールトンさん」といった具合だ。「オレは幼児か!」と叫びそうになった覚えがある。にんじんさん、ごぼうさん、しいたけさん。そういえば「アンパンマンさん」とは誰も言わんなぁ。
 これは見た目のまだるっこしさもさることながら、「ウチはこんなに丁寧なんですよ」という作成者の意図が見える気がして、かえって胡散臭い。そのくせ「JR大阪駅」や「阪急梅田駅」はそのままであった。どこでこれらを区別するのだろうか。
 丁寧なもの言いを心掛けることについて異論はないが、自覚を伴わない不必要な丁寧さは、かえって不誠実の匂いを漂わせてしまうことが多いように思う。たかが「さん」の話ではあるけれど。
 
結論。全部呼び捨てでええんじゃぁ!
・・・ということで、この稿おしまい。

未分類 | 02:08:11 | トラックバック(0) | コメント(0)
擬態語大全
しっくり、しっとり、しっかり、しっぽり、がっちり、すっかり、徳利。
とっぷり、のっぺり、さっぱり、びっちり、ばっちり、出っ尻。
ねっちり、べったり、ぱったり、すっきり、ぴったり、ねっとり、こっそり、乗っ取り。
ちゃっかり、ざっくり、でっぷり、がっつり、たっぷり、びっくり、しゃっくり。
ちょっぴり、まったり、むっちり、ぱっくり、ばっくり、ぷっつり、もったり、やっぱり?
ゆったり、こっくり、じっとり、どっぷり、きっぱり、もっちり、鳥取。
むっつり、ばったり、きっかり、じっくり、きっちり、ハッタリ。
がっぽり、ごっそり、げっそり、がっくり、がっかり、ひょっこり、はっきり、ぎっちり、てっちり。
すっぽり、すっぱり、どっかり、でっくり、こってり、ぐったり、出っ張り。


 ・・・・まだあるかな?それぞれに、それぞれのイメージ。「こっそり、乗っ取り」なんて好きだなあ。あな楽しや。


未分類 | 12:12:20 | トラックバック(0) | コメント(0)
しあわせとんかつ
 僕はなにしろ眺めのいい所が好きで(もっとも、眺めのいい所キライ、という人はそんなにはいないと思うけれど)、大阪の某所にあるトンカツ屋に、一人で割とちょくちょく行く。
 ここは実に地上28階(まだ上の階もある)という高所にあるため、見渡す限りここよりも高い所というのは、遥かに霞む生駒の山々と、あとは点在する高層建築が何ケ所かあるだけだ。僕が行くのは中途半端な時間が多く、大抵の場合よく空いている。ここでぼんやりと下界を眺めつつ、ゆっくりとメシを食うのは至福の時間である。
 ここから見ていると、空と雲、そして山以外は、全て人の手が作り出したものであることに気づく。これは考えてみればものすごいことだ。

 この人工ジャングルの中で、今この瞬間、「シャレにならん」事態に出くわして切羽詰まっている人もいれば、「一生に一度の感動」に打ち震えている人もいるかも知れない。そういった、ごく個人的な感情の起伏や事態の「大変さ」を、例えば客観的な数値に置き換えることができたら面白かろうなぁ、などと考える。この視界に捉えた世界の中で、いま一番「えらい目」に遭ってる人、というのはどういう状況だろう?などということを、特に意味もなく考えつつ過ぎゆく雲を見ている。
 ひとりでゆったりといただく食事として、とんかつが果たして適切かどうか、いまひとつ確信が持てないが、本当に腹が減ったときの食事は、料理と正面から向き合い、ひとり噛み締めるというのが正しい態度であると思う。

 さて、とんかつが運ばれてきた。しゅんしゅしゅんと音を立てそうなきつね色のコロモと、それをなだめるように寄り添う純白の大根おろし。これら主役の舞台をざっくりと支える鮮やかな若草色のキャベツ。おっとお姉さん、「和風ドレッシング」を持ってきていただけまいか。うむうむ。

 心と体の滋養健康。

 いただきまーす。


未分類 | 13:00:48 | トラックバック(0) | コメント(0)
造成地
(原文は1996~7年頃のものです。2004年加筆したものを今頃載せてみる。)


 防波堤を登りきると、目の前に広がるのは以前のような海ではなかった。何かの建設予定地だろうか、かつてはそこで唐突に終わっていたはずの陸地が広くなり、はるか遠くに海が見える。

 重く垂れ籠めた空。何かをせき立てるように吹く風の音だけがきこえる。控えめに表現しても、心楽しい情景とはいえないだろう。9月だというのに半袖の腕が少し冷たい。

 ふと、 このまま何も建たなければよいのに、と思う。茫漠たるその風景はどこか非現実的ですらある。
 何も建たなければここは空き地のままだ。莫大な予算と高度な技術を注ぎ込んだ、負の遺産として永遠に残るのだ。先の大震災では、機能しなくなったビル群が、あたかも巨大な墓標のように見えたが、ここにはその墓標すら見あたらない。

 そんなことを思うと、少し寂しくなる。と同時に何故かはわからないが、自分の中の何かが激しく揺さぶられるのを感じる。ワクワク、ざわざわ、どれも微妙に違う。はっきりしているのは、自分自身、この感覚を嫌いではないということだ。
 青々と繁る木々もそれなりに素敵だが、忘れられたように立ちつくす枯れ木の方に、より心惹かれてしまうのは子供の頃からである。
 暗い、と人は言うだろう。自分でもそう思うが、別に恥じることでもない。

 小説や映画でも人気があるのはハッピーエンドばかりではない。むしろその逆ではないかとも思う。概ね「外向的で快活な人」が好まれる生活の中で、人は皆、普段は抑えている自分の中の「寂なるもの」を、ときには確認したいのかも知れない。
 


未分類 | 01:08:20 | トラックバック(0) | コメント(0)
ヒトとモノとロボットと
 僕はどうも自分の理想とは違って湿度の高い人間で、持ち物に対して感情移入をすることがままある。鞄や衣類、果ては鉛筆などの小物にいたるまで、例えばそれを捨てようとしたとき、それらを手に入れたときの「想い出」が脳裡をよぎり、捨てるのをためらってしまったりする。こういうことではただでさえ狭い家が片づかぬ。最近はそういう思い入れをなるべく抑えて、いらないものは捨てることを心掛けてはいるが、それでもゴミ捨て場から去るときに「さよなら・・・」と小さな声が背中越しに聞こえることがある。困ったものだ。

 かつてソニーから「AIBO」というイヌ型ロボットが発売されたとき、これが「ペット」として好評だと聞いて、初めは、ふん、所詮オモチャではないかと鼻で笑ったものだが、すぐに思い直した。考えてみれば、動かない持ち物への愛着も甚だしい僕が、もしこんなモノを持ったら実に面倒なことになるに違いない。なにせ「飼い主」の言うことをある程度理解し、自ら感情を表現するというではないか。可愛く思わないわけがない。「万物に魂宿る」というが、例えば、もしも「死ん」だりしたら、どう処理すればいいのだろう。火葬するわけにもいかず、そのまま埋めるのも問題だし、ましてや、あらゴミに出してしまうなんてことは、とても出来そうにない。動かなくなった「彼」(或いは彼女)を前に悲しみにくれる、なんてのはまっぴらだ。

 何年か前に東大の研究チームが「自力で飛び起きるロボット」というのを開発した、との話を聞いたが、近頃はついに「楽器を演奏するロボット」や「ロボット同士によるサッカー大会」なんてものまでが現れた。いつの日か、本当にドラえもんやアトムを家族の一員に迎える日が来るのかも知れない。それはそれで面倒が増えそうな気もするが、夢のある話ではある。

 工業や科学技術、産業は過去「戦争」をきっかけにして大きく発展を遂げた。人間は「他人に危害を加える」ことに一番アタマが働くということだろうか。ロボット産業はそういう発展の仕方はしてほしくないと心から思う。

 ロボットが「兵器」として育たないことを祈りつつ詠める

 ケンカもし 肩をたたいて笑い合う 機械じかけの友達いつか




未分類 | 00:00:13 | トラックバック(0) | コメント(0)
思い込み
 仕事が忙しい時期などに言う「カキイレドキ」を長い間「掻き入れ時」だと思っていた。「よし、このときだ!」とばかりに「掻き集める」時だというイメージがあったためだ。正しくは「書き入れ時」で、なるほど、忙しい時期に売り上げやなんかを帳面に「書き入れ」るのだろう。説得力がある。
 「乾布摩擦」を「寒風摩擦」だと思っていた。波平さんが寒い中でゴシゴシやっていたのを子供の頃見たように思う。 
 先頃、南極で観測された「皆既日食」などもそうだ。僕はこれを「怪奇日食」だと思いこんでいた。だって黒い太陽である。怪奇現象以外の何ものでもない。
 かつて「ドロロン閻魔くん」というテレビアニメがあった。その中にしばしば黒い太陽が登場し、これが地獄への扉という設定だったと記憶している。しかし考えてみれば、こんな大天文ショーがそうそうあってたまるものか。
 ともあれ、このイメージが強いせいで、思い違いをしていたのだ。

 まだある。子供の頃には「管理人さん」を「カンリリンサン」という変わった苗字の人だと思い、「市営住宅」を「シェー住宅」だと思い込んでいた。

 こういう間違いは、文字に書かない限り分からず、意味も通じてしまうため、会話の中では気づきにくい。これを読んで、えっ「寒風摩擦」ちゃうのん?という人もきっといるのではないだろうか。いてくれ、お願い。

 ライブ会場などでスピーカーが「キィィィン!」と不快な大音響で鳴ることがある。これをハウリングといい、関係者の間では「ハウる」という風に略されることが多いのだが、僕の知人でこれを「ハオる」と言う人がいる。「今日の音響どうだった?」「うーん、ちょっとハオり気味でしたねぇ」という具合である。
 意味は通じるし、会話の上で何も不都合はないが、しかし左右の足に種類の違う靴下を履いてしまったかのような、落ち着かなさがあるのも事実だ。これはあくまでも「ハウリング」であって「ハオリング」ではない。「ハオる」といえばやはり「羽織る」しかないだろう。この人は歴とした音楽業界の人(仮にY君とする)だが、彼との会話で「ハオる」が出てくると、沢山の小さなY君がはんてんを羽織って槍を持ち、「ハオハオハオ」と彼の周りを回っているところを想像してしまう。もちろん深い意味はない。

 こういうのを指摘するのは、なかなかタイミングが難しい。一度、意を決してそれとなく指摘してみたことがある。彼のプライドを傷付けないよう、細心の注意を払って、さりげなく、しかも大胆に。が、彼の「言語中枢」まで声は届かなかったとみえ、その日のうちに彼は再び「ハオ」り、僕は暴れそうになった。
 
 かくしてY君の周囲では、今日も小さなY君達が「ハオハオハオ」と踊っている。・・・む、無念だ・・・。



未分類 | 23:54:04 | トラックバック(0) | コメント(0)

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